Diary日報

「唯其丈」制作日報

2017.3.29
今、昼のシノギは月・水・金が早番8:30-17:30、火・木が遅番10:30-19:30、という時間帯になっている。早く家に帰りたいので遅番は嫌なんだけど、まあ何だかんだで遅番の朝は眠れるし、従って早番の日は夜更かしもできる。こっちの方がメリハリがあって良いかもしれない。水曜日であるこの日は、正に脚本に取り掛かるべき日、なのだけど、先ずは本屋に寄って、それから夜ご飯を食べて、ぐっすり眠ってしまいました。まあ、眠るのはいいんだけど、翌日が19時30分退勤で、翌朝に備えてあんまり夜更かしできないから、作業時間の挽回もできない。でも、少し夜更かしして、翌朝眠くて、またすぐに寝てしまい……てなことを隔日で繰り返しているうちに、今。
2017.3.28
退勤後、ホームセンターに寄って道具の算段をする予定だったが、ともあれ脚本を書かねばと思い、さっさと家に帰る。
2017.3.27
退勤後、ヒントを求めて書店を巡る。その後、閃きを求めて温泉に行く。しかし、そう都合良くはいかない。どうしましょ。
2017.3.26
8回目の稽古。現地PORTにて。実地稽古だが、脚本が未だ出来ていない状態なので、ただの読み稽古しかできず。稽古終了後、近くのやよい軒で脚本の改訂を試みるが、上手く行かない。夜、PORTに戻り「P to B -パンとビアと音楽のイベント-」を観る、というか、聴く、食べる。
2017.3.25
7回目の稽古。脚本は8割完成。しかし読んでみて、面白くない。どうしたものか。何か、根本的に間違っている気がする。稽古終了後、綾ノ町から阪堺線に乗って松虫、歩いてもものこぶんこへ。夜開館のよふかしぶんこの日。
2017.3.24
翌日の稽古に備えて脚本を一定まとめねばならないが、そのためにこそ、と思って繁昌亭の乙夜寄席に行く。笑福亭智丸「元犬」、桂治門「竹の水仙」、桂佐ん吉「星野屋」。
2017.3.22-23
記憶無し。脚本について考えるがあまり進まず。
2017.3.21
昼休み、「珈琲工房またたき」でコーヒーを飲む。
2017.3.20
エイチエムピー・シアターカンパニーを観に行こうと思っていたが、前日に前売チケットを買うのを忘れたため、やめにする。割引形態が多様だと余計当日券を買う気になれない。本来、それが2,500円だろうと3,000円だろうと多少の金額差では判断材料にならないが、これが割引/当日と称されると面倒になる。本チラシについて打ち合わせをする。完成像が定まるが、実作業はまだまだ残る。
2017.3.19
児童館ビックバン前のこどもブックフェスタに、今地球堂として街頭紙芝居を奉納する。毎回通り、こどもの健全な好奇心に助けられて終える。久しぶりに泉ヶ丘駅に来て、十数年前この駅で上演された街頭劇のことを思い出す。劇場など記録が残る場所の他に、全国の各所に、忘れ去られた先鋭的な表現があったのだろう。それを発掘することは不可能だから、今行われている表現を可能な限りは見届けるしか無い。と言うことで、撤収後はN2「blue/amber」を観劇。演劇公演にまつわるあらゆるテクストを演出の対象とする、それは未来感があって良いが、表現としての強度が足りず、やはり作品としては問題がある。観るものに強い感受性を要求する。そういう方向も良いけれど、高い感受性は結局「何事も面白がる」不毛さ、に行き着く気がする。そして、その根底を表現の対象としつつも「観客が作品を観る」という根源までは問われず、その悪習に頼るのみ。ともあれ、感受性が鈍いばかりなのも何なので、この劇にこれだけ観客が居るのはよいこと。補記/先鋭的な表現も、ともすれば(大衆的とも言える程の)快楽性を持ち得る。例えばノイズミュージックは(殆ど知りませんが)、ノイズを扱う時点で典型的な楽器よりも先鋭的な表現だが、それだけでなく、単純に格好良かったりする。ほんまにノイズザーザー耳障りなだけだったら、先鋭的である他の価値はない。或は、耳障りなノイズをも快楽性を持ち得るほどの価値観の書き換えを行わなければならない。どうだろう、こう書くと「いや、俺はそれなら耳障りなノイズを全うしてやるぜ!」となってしまう気がする。先鋭的な表現が、何故か快楽性をも得てしまうことの是非というのはある。その点は保留するとして、でも興業としてはやはりその積算が大きい程良い。追記/しかし、以上のような問題設定は、非常にありきたりな、既に人類が通過済みのことと思うので、果たして、と思いつつ。
2017.3.18
6回目の稽古。少し早めに切り上げて、出演者と一緒にミクニヤナイハラプロジェクト「曖昧な犬」を観劇。毎回、公演準備中に一度、出演者全員と何か同じ作品を観ることにしている。
2017.3.17
高校生の頃、同じ学年で尊敬する知人が二人居た(学校は違う)。一人は現・子供鉅人の益山貴司氏。もう一人が、このたび脚本「あなたにドロップキックを」が第40回創作テレビドラマ大賞を受賞した中谷典子氏。知人といっても僕が一方的なファンなだけで直接お話したことは殆ど無いが、手紙と作品を一時遣り取りしたことがある。そのドラマがNHKで放映されるので、実家に帰って観た。「主役」気取りの婚約者にフられた秋子は、自分を「脇役」だと嘆く、その構図に突如「悪役」(女子プロレスラー)が投げ込まれる。秋子は、その類型の中で主役を奪還しようとするのでなく、引き続き脇役として、自分でなく「悪役」の恋を成就させようと奔走する。表面的にはサイドストーリーがメインになる点が独特。飽くまでその過程の中で、ドロップキックを取得し、元恋人に、通りすがりの痴漢に、放つ(対元恋人は、電話越しの観念的なドロップキックだったが)。秋子の「ご飯好き」(お酒と一緒に食べる、炊飯器から直接食べる)という、如何にも脇役らしい造形が良かった。斯くして、学生の時分より尊敬するお二方ともプロフェッショナルとして世に出られたので、サア僕もがんばってドロップキック……と言うより、まあ脇役として。
2017.3.15
夜、本チラシについて打ち合わせをする。大まかな案は決定しているが、具体的な、細かいところについては決まらない。毎度凝り過ぎてしまうので、今回は時間を優先し、どこかで妥協せねばと思う。帰り道、資料用の重い本を抱えていたが、阪和線の乗換を惜しんで百舌鳥八幡駅にて下車し、浅香の実家まで歩く。いつもと道を変えようとして、迷ったわけではないが思ったより遠回りになる。通っていた中学校区内だと思うが初めて歩く道だった。この地域には中学生の頃に引っ越してきたので、すぐ近所にもまだ知らない道がある。よく考えれば、幼少の頃でもないと隅々までは散策しない。
2017.3.14
先月申請した、約2年前の退職金一部、の振込通知が来る。諸々について考えるが、なかなか進まない。
2017.3.13
夜、PORTにて打ち合わせ。開演時間に関しては概ね決定しているが、今回はカフェが会場ということもあり、各方面と十分検討した上で確定しなければならない。無料公演で、ワンドリンク制でもないけれど、美味しいコーヒーが飲めると思いますので終演後は是非ごゆっくりいただければと存じます。
2017.3.12
5回目の稽古。厳しい。先ず、演劇というものは難しい。次に、中でも二人芝居は難しい。更に、カフェでの会話に限る劇という点で難しい。この三重苦を乗り越えなくてはならない。芝居が初めての一人と、六年振りの一人で。果たしてそんなことは可能だろうか。不可能だ……と不安になってきたけれど、とにかく妙案ないか、考えることにする。
2017.3.11
第四研修会、と称して公民館に引きこもり、脚本を書く。成果はあまり芳しくない。21時に退出し、デニーズのカウンターで続きを行う。少し進む。が、他にもこなさなくてはならない雑事が多数あるも、手が出ない。
2017.3.10
夜、MonochromeCircus「T/ IT:不寛容について」(京都芸術センター)観劇。世界有数のクリエイションであることは間違いないが、平成も早29年、高速度にカッティングされた示唆に富む映像、光をデジタルに操作するLED照明、ビデオカメラによる舞台の生中継、SNSから採取されたテクスト、等々どれも何処かで見た「優れた演出」の寄せ集めで、ウェルメイドな作風に留まる。スペクタクルに過ぎる、しかも照れ無く。Dumb Typeは好きだけど、折角そのスタッフが別名義で作品を作るなら、もう少しズレたことをして欲しい。ナビゲーターが1人、カメラマンが1人、ダンサーが3名、なんか高い声を出す1人、とパフォーマンス領域の区分がはっきりしているため、ダンスが(エフェクトに溶かされる以上に)存在感を無くし、それも残念。必須とは言えない迄も、観客の身体をも何らかの形で誘発するのが、ダンスの条件の一つ、と考えている。舞台上で既に区分されているのなら、例えそれが優れていても客席には及ばない。まあ、開場中せわしなく視線を泳がせては知人を見つけ挨拶を交わす観客たちの様子を見るに(その筋の人は後を振り向いてキョロキョロしているので誰が来ているかとてもわかりやすい)、誰もそんなことは求めていないかもしれない。ここで重要なことは、幾つかの文化的なアイコンを表示することで、特定の人を集合させる装置。トイレの男女区分表示の、ほんの少し複雑なものとして、この作品は供されているようだ。ズレた作品、では不具合が生じる。優れたデザインのフライヤーも、不特定多数の観客を広く増やすことが目的ではない。ところで、僕にとって暴力や不寛容とは「意味を帯びた身体」のこと。京都へ往復する電車にて買ったままだった「ナビ・タリョン」 (李良枝、講談社文芸文庫)を読み進める。
2017.3.9
午後より、大手電動工具メーカーが開催する新入社員及び内勤事務員向け研修へ。参加者は8名で、僕と膝サポーターをしていた大柄な女性以外は、想定の対象通り初々しい新入社員のようだった。メーカー講師役も若い営業社員で、そちらも研修のようだ。そのため、内容は初歩的なものだったが、楽しかった。二人一組になり、用意されたばらばらの部品を組み立てたりする。研修用の部品なので、本当は数メートルあるはずのケーブルが、20cm程度の長さながら両端に接続金具をきちんと備えるなど、可愛らしい。隣のテーブルでは、若い男女で手が触れ合いながらキャキャッと部品を組み立てていて、そっちへ座らなかったことを後悔する。仕事で何度も扱ったことがある部品もあり、これなら目隠ししても組み立てられるのに。仕方無く同席の若い男性に「こっちの大型タイプを接続する時は、ボディとアタッチメントの間に、オプションのインシュレーターが必要になるから忘れずにね」と、しょうもない知識をひけらかす。最後の質問コーナーで、僕一人だけ質問する。みんな帰りたそうだったので、一旦終わってから別途、質問をする。研修会場がたまたま堺東だったので、終了後、実家まで歩いて家に帰る。家族で夕飯を食べる。二階に台所と食卓はあるが、ここは現在、朝食の時しか使われず、いつも一階店舗のバックヤードで食べる。バックヤードといっても非常に狭く、小さな板を置いてテーブル変わりにする。それでも料理の皿が沢山出てくる。主菜は、羊肉をネギと炒めたもの。美味しい。父が幼い頃、祖父の店の裏手で、食用の山羊を飼っていた話をする。山羊は自分の最後の日がわかるそうで、ぼろぼろと泣いたそうだ。料理話の延長で「李鴻章雜碎」について知る。そうした話の中、祖父の生年を確認したら1917年で、今年は生誕100周年だった。夜、スタッフが仮チラシの印刷し、受け取る。コンビニより折込代行会社へ発送。
2017.3.8
退勤後、出向役員とその出向元役員の3人で飲む。これも演劇制作と無関係ではなく、一切の公演資金は昼の仕事から得るので、より良い待遇を求めて立ち回る。他の劇団で言えば、助成金の申請書類作成に類す。未知の業界で凌ぎ二年に満たず、わからないことが多数ある。どのような分野であれ、わからないことを知るのは、それなりに楽しい。
2017.3.7
昼休み、昨日申請した寄付の案内が早速届いていたのでに振り込む。その後、PORTに行き「珈琲工房またたき」でコーヒーを飲む。仕事帰りに書店へ寄り「ハムレット」(福田恒存訳、新潮文庫)購入。今後の公演制作にあたり必要なことについて考える。
2017.3.6
仮チラシを巡り、各所とメールで遣り取りをする。当日の運営について考える。本チラシのデザインについて考える。様々な経緯あり、個人名義で某文化系基金へ少額寄付の申請を行う。この日報を付け始める。
2017.3.5
午前、「能と囃子の会」(大槻能楽堂)を観に行く。午後、結婚した劇団員の家に遊びに行く。夜、諸々未定要素あるが、公演の告知を開始する。
2017.3.4
4回目の稽古。これまで所謂ワークショップを重ねて来て、本日の前半もその続き。偏らないよう、内容も出演者に考えてもらう。後半より、初めて本番用の脚本を用いる。と言っても、まだ4ページしか出来ていない。それも前の晩から朝にかけて無理矢理拵えたものだが、無理さえすれば書ける、という実感を久々に得る(しかし、無理をする必然性はそも無い。そうして六年間、無為に楽しく過ごした)。
2017.3.3
夜、地点「ファッツァー」(アンダースロー)を観劇。
2017.2.28
「ランタンスパイス食堂〜音楽と読書会〜」(UrBANGUILD)の、読書会に参加。居合わせた人と、声に出して本を読む。偶然にも来客のお一人が大学の同窓生だった。同企画出演のミュージシャン、川俣聡人氏に、読書会について、多数言及をいただく。
2017.2.27
夜、スタッフと仮チラシ他の打ち合わせを行う。
2017.2.26
朝、門真の中国人朝市を覗きに行く。昼、大東市民会館の音頭へ。途中、議員の話によると、大東市では「音頭会館」の設置を目指しているとのこと。
2017.2.25
「短歌チョップ」を見に行く。
2017.2.24
いつも昼休みに漫画雑誌を立ち読みしている職場近くの書店で、村上春樹「騎士団長殺し」購入。この肝心な時に店長は不在で、大金を店に落とすところを見てもらえず。
2017.2.18
3回目の稽古。発声練習など行う。
2017.2.5
2回目の稽古。身体訓練など行う。
2017.1.12
1回目の稽古。出演者初顔合わせ。様々なテキストを読む。
劇団乾杯 - Theater Kanpai - Email : kanpai(at)kiwamari.org