Diary稽古日報

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お久しぶりの公演につき、しばし雑記を復活。

劇団乾杯は堺市を本拠地とし、最近某宗教系財団が指定管理者となった青少年センターにて稽古を行ってます。劇団員もだいたい、その辺りに住んでて、僕も家からちゃりんこで15分くらいかけて通う。

が、最近、僕自身は大阪市内の事務所に棲んでいるので、阪堺線、チンチン電車に乗って行く。風流で、いいじゃありませんか。南霞町から綾ノ町まで。駅名も、美しいじゃありませんか。数年前『ハンカイ』という阪堺線の短編を上演したが、こんなに利用することになるとは。

期間限定の、通勤路や通学路があるのは、楽しいことです。通稽古路か。他に何があったか。維新派の屋台村を手伝ったとき、公演期間中は毎日南港へ通った。住之江公園まで自転車で行って、そこからニュートラム。去年は、本町のstudioに半年ほど通ったが、あれは事務所から自転車で通えるので、あまり感慨はない。都心部はねえ。

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ここのタイトルは「稽古日報」とした。まあそれはどうでもいいのだが、何故日報なのかというと、業務的な言葉や装置が好きだから。日記じゃなくて、日報。

実際は、日報とか、面倒で今日も出してないけど。会社に入って楽しいのは、各種の業務的な概念に包まれること。ままごとみたいで、楽しい。例えば、回覧の書類が回ってきて、判子をポンと押して次にまわすとか。それが、なんとなく可愛い。

伝票、という言葉や概念も好き。もう、何をするにしても、伝票が付きまとう。うざいが、なんでもないものにも、格式ばった紙切れが一枚、健気に付き添う様は、なんとなく嬉しい。不可視のものが、見えた感じ。まあ、伝票とはまさに、見えないものを見えるようにする装置なのだが。

タイムカード、及びタイムレコーダーもいいですね。タイムカードが、出欠管理するだけなのが、勿体無い(そう思う会社員は、たくさんいるはず)。今は味気ない電動式なのだが、一時、故障したとき、業者が代替品に古いやつを置いていった。それは、どういう仕組かわかんないけど、カードを差し込むとカタンていって中でスタンプが押される。なので数字そのものも味わいがある。

タイムカードを押すことを「打刻」という。詩的且つ事務的という稀有な言葉。響きも良い。

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僕ら、劇場で公演するのは久しぶりというか、-IST零番舘程度の規模で公演するのは初めて。なので、根本的に舞台周りのあれやこれやがどうなっているのかわからない。あれやこれやが何かすらわからない。

このままでは泣けるので、今度-IST零番舘で公演する劇団の楽日に、雑役夫として潜り込み、あれやこれやを実地体験することにした。

Amusement Theater 劇鱗「仏契」。4/18日(金)から20日(日)迄。お礼に宣伝を、って、もう始まってますけど。すみません。

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子供鉅人の公演も始まる。なんだか騒がしくなって参りました。むずむずする。益山さんも、今やずいぶん立派なお方だ。写真見て写真。『ウジカヴィカジコ 〜あいつらは外国人なのかな〜』の様子も観てるだけで面白い。コイツァー「4 1/2」も楽しみだぜ。

較べて、僕らの地味なことよ。ま、いいや。

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4月末には唐組公演『夕坂童子』も劇団員みんなで観に行く。実は(と明かすことでもないのだが)稽古が始まる前から、何度か劇団員と観劇ツアーを行っている。お勉強のためですが、というか、劇は観ないと意味ありませんものね。上演することと観劇することを、不可分としたい。

といいつつ、自劇団の公演を目前にして、忙しくて観れない。これは良くない。あ、先日は今をときめくFrance_pan『ジャン=アンリ・ファーブルの一生』は観た。面白かった。畜生。面白くないと思ってたのに。今をときめく劇団の芝居を観て「ナーンダ、余裕で勝てるじゃん」と自分を励ますつもりだったのに。

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ということで、Amusement Theater 劇鱗公演「仏契」に雑役夫として潜入。劇も観させていただきました。ありがとうございました。

バーリバリのエンタメ。端的に言えば、脳死の逆、脳のみの生。テクノロジーと宗教を明確に対立させて(文字通り、西日本と東日本に国が分断されている)物語を構成している。

最初の長科白が格好いい。世界観紹介のために、「ドイツがベルリンの壁で隔たり、朝鮮が38度線でわかれ、ベトナムが……」みたいな科白云々(正確じゃないです)。

あ、38度線と言えば。山本正之の歌に、なんだっけ、「アニーよ恋をとれ」か。タイトルからして良いのだけれど、その歌詞に「38度の熱にうなされているのなら、私の肌の中で火照りを鎮めて」ってのが、あって、この言い回し、格好良い。山本正之「ニューヨークもの」のひとつで、ニューヨーク在住、朝鮮出身の青年と恋に落ちる話。もちろん、馬鹿な僕は「38度の熱で大袈裟な」と思ったわけです。何度か聴いて、ああ、風邪引いてるんじゃなくて、故郷を憂いているのね、と気付いた。これこそ格好良い、言葉遊びですよね。

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「稽古日報」ながら、稽古のことが出てない。なので、今晩の稽古のことでも書こうかなー、と思いながら、その日の昼、事務所の近くで優雅にカレーを食べてた。

商店街を歩いていたら立看板を見てその店に入ったのだが、あれ、このお店のシンボルマークは……。偶然にも、このマークをデザインした奥村昭男のサイトを数時間前に見ていたのだった。アジアタッグというお店。

それはともかく、そこでカレーを食べてたら劇団員から電話があって「今、何処にいる」と。稽古昼からなのを忘れていた、というお話。

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カリカリとプリンターは仮チラシを刷る(江波ノッコ・書く)

山本「唐組(敬称略)の挟み込み……明後日みたいやねんけど、行きたいと思うんやけど」

江波「あっそうだよねー、行ったほうがいいよね。でも、チラシ無いよね!」

山本「だよねー。」

本公演のチラシ、まだありません。約1ヶ月前ですが……。

(※デザイナーの名誉のために申し上げると、私たちがだらだらと先延ばしにしたせいです。)

現時点で、仮チラシと口コミ以外ほとんど一切宣伝をしていないわけで……客より役者が多い本番がリアルに想像できそうな感じ!ああ!

とにかく唐組さんの公演の挟み込みには行かないといけない、という結論に。

もう明日に迫った挟み込みに向けて、本日朝から桜川くんだりのO商会まで紙を買いに行く。きさくな店員さんに癒されつつ、大量の紙をかかえながら、営業(本業)周りをして、仕事帰りに印刷機がある知り合いの事務所に寄る。これを印刷して、このあと仕事(副業)に行って、終電までに明日挟み込みに行ってくれる相原にチラシを渡しに行かねば!と、ギリギリのスケジュールを頭で反復しながら、印刷機に原稿セット!しかし、そこの印刷機と私の持参した紙の相性が合わず、何度やっても失敗。ボーゼンとする間も、紙と印刷に相性とかあるという新しい知恵を授かった感慨にひたる暇もなく、お家にダッシュで帰り、800枚、仮チラシをプリンターで印刷いたしました。合間に仕事(副業)にも行きました。相原にも無事チラシをたくしました。

何が言いたいかというと・・・何でも早めの準備が肝心だよね、早めのパブロンだよね、なんて教訓めいたことではなく、今回のその、唐組さんに挟み込まれるすべての仮チラシには、私の指紋がべったりとついているんだなあ!ってこと!

ワォプレミアム!

私が指名手配された折には是非このチラシを警察に持参していただきたい!

さらに、800枚のうち、十数枚、印刷の乱れがあるチラシがあるんですね、それはね、あたりです、あたり。幸せになれるお守りです。

さあ、皆、幸せになれる仮チラシをゲットしに、唐組の公演へゴー!だぜ!

と、この日報、他のお芝居の宣伝ばかりだな。劇団の卑屈さがにじみ出ている……。

とりあえず私は明日もフルタイムで仕事なんで、眠らせていただきたいと思います。

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芸名、について。(江波ノッコ、書く)

劇団乾杯で、現在「芸名」を名乗っているのは、私の知る範囲では3人。私、江波ノッコと、制作まわりの梅田メメコ、それから主催山本握微。三人三様胡散臭い。

というか、「芸名」って響き自体がちょっと恥ずかしいので、「偽名」って言いたいと思います。

私ぶっちゃけ本当は河野美苗(コウノミナエ)といって、その名前で以前から乾杯に参加していたんですけど、もう大分以前から自分の本名の大層な雰囲気に恐縮しっぱなしで、「美」って名前につくのは、何かのあてつけか?と、ともすればぐれてさえしまいそうな勢いで、自分の名前に違和感を感じておりました。しかも呼びにくい。あだ名もつけにくい。私に友達が少なく、内向的な性格なのは、おそらくこの名前が原因の5パーくらいは占めているはずです。で、「エナミノッコ」、確かにアホっぽいよ、正直自分でも名乗りあげにくい。しかし「ノッコチャン」、呼びやすい!友達ができそうな感じです。大募集中です。あと、「カッコつけてるんじゃなくて、実は本名を逆から読んだだけなんだ、テヘ」って言い逃れしやすい。どこまでも半分後ろ向きな理由。

梅田メメコは、梅田は本名で、あだ名が「ウメちゃん」→「メメちゃん」→「メメコ」と変化していった末、この偽名に落ち着いたそうです。ああ、人とのコミュニケーションを介して名前が誕生する、正しい偽名のつけ方でしょう。つげ義春先生の「ねじ式」に出てくる「メメくらげ」を彷彿させる感じもあります。

最後に山本握微。山本、という苗字は恐らく日本で1,2を争うメジャーな苗字、それだけ人生でヤマモトさんに遭遇する機会は多く、さらに、数打ちゃあたる、とでもいいましょうか、遭遇するヤマモトさんに、一風変わった人が多い、ヤマモトというどこにでもある名前を持ちながら、今まで出会った人の中でヤマモトさんって、強烈な個性を持っている人が多いような気がしませんか。多分そういう意味で山本、を名乗っているんだと、思う。で、握微は、「微かなモノを握りしめる」って意味だったように記憶しています。握りつぶす、じゃないわよ、念のため。

それにしても芸名を名乗ること自体、ものすごい自意識過剰で小者っぽい・・・ということも見逃せない事実。しかしかの有名な北村想センセーも、芸名をつけることの大切さを『高校生のための実践劇作入門』(白水社刊)で語っているじゃありませんか・・・しかし「想」って芸名は果たしてどうなのだろうか、かっこよさ過ぎてカッコワルイに入ってしまうのでは・・・とか、また演劇界を敵にまわしてしまうようなことを口走ってしまいつつ、偽名についてのとりとめのない話を終わりたいと思います。

あ、そうそう、今度のお芝居でも、「名前」がキーワードになる瞬間があります。

でももう、キーワードが多すぎて、何がなんだかです、実際。

山本補記

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宣伝活動やフライヤーについて考えると気が重くなる。「ああ、如何に魅力的なフライヤーをつくればお客さんが来てくれるだろう」という悩みではない。

作品を何故宣伝するのか、とか、そもそも何で作品をつくり、他人に観てもらうのか、という根源的ところに行き当たり、僕の記憶力では問題を把握できなくなって、無思考状態に陥る。

ちょっと視点を切り替えて。この前、観た芝居が面白くなかったんで途中退出し、試しに受付で金半分返してって言ってみた。馬鹿な劇団はここで、へらへら苦笑いしながらお金を返すのだけれど、そこはしっかりしていたんで、その要求を突っぱねた。

まあ、それはいい。だが、そこから先のロジックは大変だ。で、幾つかその話を聞いた。

そのロジックのひとつに、「事前にフライヤーで作品内容をある程度判断できる上で劇を観に来るのだから、その判断責任は観客にある」というのがあった。しかし、これそうか?以前、別のところでも揉めたんだけれど「フライヤーに書いてある」って。フライヤーは何を負っているのか。

しかし、「演劇人」たち、あなた方普段は、自分たちの内向性に対してはやたらと批判的じゃないですか。関西小劇場界とやらは、観客の少なさ、低迷を問題としてるわけで、先日もこういうのありましたやん。

えーと、限られた人でなく、色んな人が演劇を一般的な文化として親しむことが理想ですよね。僕も全くそう思っています。この理想通りにことが進めば、客席の顔ぶれの比率に変化が生じ、何かやってそうなお洒落な人ばかりでなく、スーツや作業着の人の割合が増えますよね。これは当然の帰結として。

で、その背景には、色んな人が「さて、いっちょ芝居でもみっか」と、ひょい、劇場に入れる、入ることが理想です。ひょい、と入っても面白い芝居ばかりという、作品自体の進化が必要ですが(もちろん、作品が万人に受ける形を目指すのではないので、観客の受容回路の進化も必要です。が、作品も当然、進化が必要です)、この形態が理想ではありませんか。それは、限られたルートでしか手に入らないチラシの束を精査し、事前情報をチェックして観に行くようなものじゃないでしょう。

理想ばかり言っても仕方ないので、体現するべく、僕は就職し一般社会人として(内輪の客でなく)、ひょいっと劇を観ているのです。ところが、その結末は「フライヤー見てないの?」ですぜ。

「作品が面白くなければ、次から観に来なければいい。本当に作品が面白くないのなら、やがて観客は減る。そして、潰れるだろう。だが、今、あなたに金は返さなくていい」ときたもんだ。馬鹿野郎、他の観客や、劇団のその後のことなど知ったことか。僕は今、この作品について、やりとりしたいの。その作品について、入場料なり何なりの責任を負って欲しいのです。

だいたい、経済的な云々で持って劇団の運営を捉えているけれど、現状の低迷する観客層で、なんとか継続してきたんでしょ。なら、この先、作品が面白くなくても潰れはしない。内輪客に多少の入れ替えあれど、それでやっていける(或いは何時までもやっていけない)。現状の小劇場を、普通の淘汰作用で考えるなよ。それが本当に適用されるなら、痛い劇団はとっくに消えているはず。

とゆーか、ある意味それはそれでいい。それこそがいい。なのに、日頃は社会のはみだし者を気取る連中が、いざ自分の作品を庇護する番になると頑なに社会常識を持ち出す。「一度払った金は返らない」?そうね、社会常識じゃそうでしょう。でも僕は、僕の作品に値段を設定し、それが面白くなくて金返せと言われたなら、死ね俺の作品を理解せぬ愚者め、と呪いながら金を投げつけて返す。

僕は、面白くなくても観に行く。面白くなくてもそれをする、それは見過ごすごとができないし、絶えず検証せねばならない。「嫌なら観るな」と言われるのが一番嫌で、嫌でも観ますよ、それを良しとしているのなら。

話が迷走してきた。言葉は常にリニアだが、意味は分岐していく。なので、何時も上手く文章を書くことができない。故に演劇という形態(とりあえず、お客さんに数十分も黙って観てもらう、時間的な広がりを持ちつつも物語仕立てでひとつのかたまりとして受け取ってもらう)をしばしば執り行う必要が僕にはあるのだが……あ、また迷走した。

ひとしきり迷走した後、話をまとめるのが好き。フライヤーの話だった。

僕は、自分の作品が面白いなんて言わない(思っているけど、自分から言わない)。面白いか面白くないかはどうでもいい。とにかく、ともあれ、僕は芝居を打つのだからそれを見届けて欲しい。それだけ。

客に、何も与えるつもりはない。だから、対価も取らない。フライヤーを考えるのは好き。だが、それは作品とは別。フライヤーがどうであろうが、とにかく観て欲しい。

しかし、こう言うと「面白くない言い訳として金をとらない、くだらない自己満足の所産」と受け取られるからな。それに、これだと不特定多数の客には届かない。

不特定多数の客は……まあ、そこまで考えは及ばない。ただ、これを知り得た人、とにかくその人、その人は、どうか観に来て下さい。

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(S書く)

今日、立ち稽古の録画映像を見ていたところ、怪奇現象を発見!

とあるシーンで画面左上に白い浮遊体が現れ、ゆらゆら飛んで消えました。映像の乱れとかでもないようです。

どうせならもっとそれっぽいシーンで現れればいいものを下らんところで出やがって・・・もっと相応しいシーンが沢山あるのに。

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祝日は、金岡公園の体育館裏で稽古。昔から、外で稽古する時はここ。

役者が四葉のクローバーを探していた。

四葉のクローバー

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本番も近づいてきた。ミーティングは加速。ただ、脚本だけが仕上がらない。

おっと、展示もあるんだった。いかんいかん忘れてたぜ。

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怪奇現象と言えば、昔こんなことがあってのう。

都市伝説で有名な、と或る「呪いの曲」があってな、僕は面白がって、と或る二人芝居のオープニングに使ったんじゃ。

稽古場で、初使用した翌日に、役者Aが交通事故。

公演終了後に、役者Bが発狂。

結構、笑えないことになったんじゃ。おしまい。

僕は何とも無かったが、今にして思えば、吉原云々落選や稽古場有料化などは、これの所為か。あの公演を観に来てくださった方は身辺にお気をつけ下さい。

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「アラユル」「イコウル」「ハンカイ」「オシロ」「リ」など、乾杯の芝居の題名は、シンプルなものばっかだ。本当は、せりふっぽいのが好き。「ありがとう、って言っておく」とか(乾杯ではこれだけだが)。僕が知る限りだと、太陽族の「それを夢と知らない」や、MONOの「その鉄塔に男たちはいるという」あたりが格好良い。

それはそれとして、今回の題名は、良いではないですか。とうとう記号。ブレス。息継ぎ。面白そうではありませんか。当然、ブレス、「祝福」の意味を兼ね備えているわけでございますわよ。

次に公演があるとしたら、題名は決まっている。いつも、タイトルありき。とられないように、予めここに記述しておこう。「街街」。これで、まちがい、と読む。面白そうですね。

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だまし絵のような(江波ノッコかく)

小道具を作っている。

アレにも見えて、アレにも見えるようなモノです。アレにも見えるかなーアレにも見えるかなーって思いながら試行錯誤。だまし絵を書く気分。

私は小道具の中でも布物担当なので、布のデパートみたいなとこによく行きます。そこの店員の人たちはいつもいい感じにやる気がなさそう。レジうちながら「疲れた〜今日もあとちょっとや」とかゆってる。たまにクレジットカードとか慣れてない操作でレジうまく打てなくて大騒ぎしてる。

最近布の図り売り場に配属されたお姉さんが、やたらと話しかけてくるけど、なんだろう?営業?ってわけでもなさそうだし。

今までに無いタイプの店員さんなので、密かに注目しています。