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1999年旗揚げ。山本握微主宰。堺市を拠点に、大阪市内を中心に公演。旗揚げ以降、一貫しているのは、所謂「演劇人」なる種とは別の人間が集合し公演を画策すること。必然的に、何故劇をしているのか、という問題に立ち返り続け、結果的にメタシアター専門の劇団となる。「世界の仕組み」を舞台の趣向として取り入れ、言葉、意味、人物、時間、リアリティが多重構造を成し、そのサカイを冒険する。舞台上で、作家や俳優の才能や努力を可能性として自慢するのでなく、「何も出来ない」不可能性の中、各種の方法論を頼りながら、惨めな表現の暗中模索を提示する。その有様故、現在に至るまで観客から入場料を徴収していない。
劇団と称しているのはただの「ごっこ遊び」に過ぎず、思いつきに応じて、役者やスタッフを募り公演を行う。プロデュース制以前の「この指止まれ」方式。最近は参加頻度の高い人間を指して「劇団員」という言い方もしばしばするが、これも一種のおままごと。「次回公演」以外の予定は基本的に存在しない。故に、解散という概念もない。
継続性が一切ないため、毎回が人生最後の演劇である覚悟で計画。故に「前回はこうだったので今回はこんな路線をとってみました」とか「あのの事件を題材にしてみました」といった時流的選択はなく、「昔考えてきたこと、今考えていること、これから考えるであろうこと」を一作に詰め込む。そのため、「常に前作を含んだ大幅改訂増補再演」と評されることもある。
このような意識の低い劇団のため、却って「何故、演劇をしているのか」という問題に立ち帰らざるを得ず、結果的にそうした問題を含んだメタシアターが中心となる。
高い確率で、作品中、その作品自体が小道具のように出現する。
視聴覚の造形技術に欠けるため、止むを得ず「言葉」に力点を置く。所謂「言葉遊び」にはじまり、意味や仕組みの成り立ち明示する、建築のように四方へ広がるせりふも特徴。
あらゆる連盟やコミュニティに所属せず、助成金などの直接的な支援を得ない。
同様に、誰も劇団乾杯に所属しない。
実際の中立国が強力な軍備を持つように、平和主義という意味でなく、何時でも誰とでも争えるための中立。
勿論、一匹狼を気取りたいわけでなく、可能な限りさまざまな人に観ていただきたいが故の、中立でもあります。
観客との中立を保つためにも、旗揚げ以降現在までに入場料を徴収していない(演劇祭などは除く)。
無料が、却って動員に結ばないのは承知の上でのことだが、「演劇人」方面の反発は予想以上に強い。
その他、無料公演を行うには理由が複数存在する。
もちろん有料が間違っているわけではないが、親しい身内や評論家は無料で招待しておいて、通りすがってちょっくら覗いてみようと縁なくもふらっと立ち寄った一般客からは高めの当日料金をとるという構図は、舞台芸術を閉鎖的なものにしていると考えます。その点に疑問を持たず無邪気に「演劇がもっと普及しますように」と考えている連中が跳梁跋扈する以上、それに負けない狂気をもって無料公演を続けるのも一つの意義でございましょう。
旗揚げ謀議の折、最初の主宰であった海月集(消息不明)が、突如「漢字二文字で」と方向性を示した数日後、「乾杯になったから」と決定し、今に至る。なので由来や意味はわかりません。
経緯はともかく、一見、残念な新劇?と油断させる系の名前になり(先達は青年団か)、結果的には良かったかも。
82年堺生堺育。高校在学中より劇団の他、現代美術を文脈にした活動を始める。「普通芸術」をキーワードに、制作数々のアートプロジェクトを企画。現在某社営業一課勤務。